【勉強スキル】暗記が苦手な人のための「記憶」と「理解」について

資格試験や受験勉強、学習において、「暗記」と「理解」をめぐる議論はいつでもあります。

「どこまで暗記すべきなのか」
「理解だけすれば暗記は不要なのか」  
「暗記することこそが勉強ではないか」
などです。

こうした議論によって本来の勉強方法を見失い、誤った努力をしてしまっている方もなかにはいます。

一方で、勉強のできる人にとっては、この問題については深くは考えていないように思います。なぜなら、この問題は議論するまでもまく、各々に自明なやり方があると思うからです。

この記事では、勉強における「暗記」と「理解」はどこまでやる必要があるのかなど、について書きたいと思います。

目次

なぜこのような議論が起きるのか

ではまず、なぜこのような議論が起こるのでしょうか。

それは、理解の難しい内容については「理解」が億劫になり、暗記の量が多いと「暗記」が億劫になるからだと、個人的には思います。

人間は弱いものです。

勉強をしていると、時々逃げ出したくなることがあります。
「難しい…これを理解しなきゃだめなのか…?」
「覚えることが一杯…これ全部覚えるの?」
など。

そして、こうした議論となって現れる、という側面があるのではないのか、と私は思うのです。

「暗記」は必要か

結論、「暗記」かどうかを問わず、学習において、「記憶」することは、当然ながら、必須です。

私は「暗記」という表現は基本的には使いません。代わりに、「記憶」をした、という表現をしています。

これは「暗記」という言葉の定義が、かなり広い意味で使われているように感じるからです。

例えば、電話番号をソラで言えたり、言葉を語呂合わせで覚えたりと、文字や数字の羅列として情報をとらえて、理解を介在させずに丸飲みにする、という意味の「暗記」もあれば、理解をした結果としてソラで言えるようになる、という意味で「暗記」をとらえる人もいます。

個人的には、「暗記」というと前者のイメージが非常に強いです。
それは人によると思います。

そして、私は前者の意味での「暗記」はあまり行っていません(全くやってなくはないです)。
私は、理解をしながら、何回も読んだり見たりする中で段々と覚えてしまうという方法をとっています。

そのため、あえて「記憶」という表現を使います。

個人的なお話をしたいと思います。
先にも書きましたが、私はほとんど、意味のない文字や数字の塊を丸飲みするという暗記を行っていません。これは、それが私にとって苦痛なことだからです。

一般的には、大人の脳みそは理解をした内容については記憶に結びつきます。論理的なストーリーは記憶の定着につながるように脳みそはできています。

また、脳の同じ回路を何度も通ることは、記憶の定着につながります。
これらは脳科学研究の池谷祐二さんも言っています。
 


 
「脳みその同じ回路を何度も通る」というのは、理論的な科目だけでなく、計算を伴う科目にも言えます。

理論科目については、参考書を理解したうえで、何度も読む、見る、ということをしました。

計算科目については、典型的な問題については、いつも決めたプロセスで解く、同じ下書きを書く、問題によって違ったアプローチをとらない、ということを行いました。

これを繰り返すことで、まず基本的な問題を解くスピードが上がります。考え込まなくても、反射的に脳みその同じ回路を通おるようになります。

そして結果的には、少しひねった問題に対する応用力もついてくるのです。

こう書くと、やっぱり「理解と記憶」って表裏一体だなと思います。
分けて考えるのはナンセンスだと思いました。

イメージ記憶について

私が行った暗記方法の一つで、イメージ記憶的なものを行っていたことを書いておきます。

とはいえ、難しいものではなく、「何度も見て覚える」、というのに近いです。

これは、参考書のページの表や文章などを全体として「絵」として捉え、見出し項目がいくつあったとか、対立する考え方が表になっている場合に、左右のどちらに書いてあったか、などを覚えているものです。

何度も何度も参考書を見ていると、あの論点や知識が、ページのあの場所に書いてあったということも記憶していきます。そして、ある内容が書いてあったすぐ上には何の内容が書いてあったか、という思い出し方までできるようになってきます。

また、計算科目については、自分なりに計算過程のフォームをメモ書きした上で、全体を「絵」として「形」として覚えるということも行っていました。もちろん、特殊能力がない限り一回では記憶できないので、何度も見ていました。

以上が、私のイメージ記憶です。

「理解」は必要か

結論、当然ながら「記憶」することと同じくらい内容を「理解」することは必要です。

そもそも、本質的な理解というのは、学習の本来的な目的であるし、受験上も未知の問題に対する対応能力につながり、様々な内容に応用が効きます。

ただし、内容によっては「理解」を腹に落とすことが難しい分野もあります。

試験勉強に関して言えば、どうしても理解ができない分野があれば、聞ける人に聞くのがベストですが、試験勉強上、点数を取れればよいという側面もあるので、とりあえず覚えてしまって、先に学習の駒を進めるという方法が効率的です。

苦肉の策ですが、先に学習を進めて、1周してまた戻ってきたときに、習熟が進んだため、分からなかったことが分かるようになっているということが、起こりえます。

分からないことに時間をとりすぎて、非効率となってしまうのであれば、先に進めるべきだと思います。

「記憶」(暗記含む)と「理解」の関係について

人によっては、「記憶」と「理解」というものが概念として分かれるものですらないかもしれません。
ここでは、一般的な言葉の意味に基づいて、両方を行う必要がある、と書いておきます。

人によってやり方やプロセスは異なるとは思いますが、必ずその両方がないと試験問題には太刀打ちできません。

理解していなければ、試験問題の意図に沿った意味のある解答ができませんし、記憶していなければ、解答するべき言葉がありません。

もう少しかみ砕くと、

理解していなければ、問題の意味が分からない。
記憶していなければ、答えるべき言葉がない。
言葉がなければ、思考ができない。
思考ができなければ、理解ができない。

人間は言葉の存在によって思念することができます。

「資産・負債」、という言葉を知らなければ、
「資産・負債」について思考することができません。
それは、「資産・負債」、という概念を持たないことと同義です。

だから、理解と記憶は必ず同時に行うわけです。

まとめ~「頭がいい」人について~

さて、以上の議論を踏まえて、「頭がいい」と呼ばれる人について少し考えて、締めたいと思います。

確かに遺伝的に脳みその出来がいい人がいるのは事実でしょう。記憶力や理解力が飛び抜けて高い人たちです。

しかし、大多数の人たちはこの領域にはいません。その大多数に位置する人たちが資格試験や受験勉強をしています。

理解と記憶の方法は人それぞれ千差万別であり、これまで多くの友人などを見てきた経験から、個々人の性格とも強く結びついていると感じます。

そのため、個々人の理解と記憶の方法について、ああすべき、こうすべき、と言うことは非常に難しいと感じます。

それぞれのやり方で上手に地道にイチから積み重ねることが必要です。
多くの人が、広い意味で「学習」というものを始めた幼少期から、その基礎を積み重ねています。

そして、その技術を高いレベルで持っている人が効果的かつ効率的な勉強プロセスを身に付けている人であり、
成績の伸びが速い人であり、
俗に「頭がいい」と言われる人たちです。

これは地頭や知能指数とは必ずしも関係しないものです。
これは多くの場合、これまで書いてきたようなスキルの問題だからです。

人それぞれに違ったやり方があると思います。

その上で、参考になれば幸いです。

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❏ IT監査人 (公認会計士 / 公認情報システム監査人(CISA))
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